初老の仲間入りに差し掛かったポンコツですが、循環器科の先生から指導を受けている最大心拍数の上限目安を守りながら「青梅マラソン」も制限時間を一杯に使い切って完走することができました。
不健康なのにノコノコ走るな!とネット上でお叱りを受けることもありますが、その原因は軽度の血液逆流と判明しており、2カ月に1度の定期診断を遵守しています。
ウォームアップのウォーキング、エイドだけに頼らない水分携帯、体温調整や天候変化に対応するのための小物類を詰めたバックパックを背負うことを習慣づけて、常にアンダーコントロールを心掛けています。
また私にとって「青梅マラソン」は、降雪や感染症対策で開催中止の年もありましたが、高校陸上部に所属していた時から参加を続ける思い出いっぱいのロードレースでもあります。
当時は顧問の先生が朝のミーティングで「今日は◯◯と◯◯が風邪で休みだから、応援の短距離班は余ってる好きな番号のゼッケンで走っていいぞ!」とか、今となっては考えられない阿部サダヲさんの「不適切にもほどがある!」と同等レベルの牧歌的なものでした。
昭和の香り漂う青梅の街並み、冷んやりした空気、晴れ渡った冬の空、谷底から聴こえる川のせせらぎ、温かい応援の声、次々と懐かしい想い出が浮かびます。
自己ベストのために走る、他人に負けたくないから走る、仲間と目標を分かち合うために走る、これは走る目的として立派な理由だし、とても崇高なことだと思います。
だけど「青梅マラソン」には競技性とは遠くかけ離れたところに独特の雰囲気と魅力があって、新しい発見を与えてくれるものがファンランなのかも知れません。
そして私が何より一番心配しているのは伝説の坂に住むおじさんです。久しぶりにホームグラウンドの二俣尾でお会いすることが出来て、少し立ち止まってお話したのですが、とにかくお身体が心配です。どうか無理をなさらずお元気で!と固い握手を交わして別れました。
これは私の信条ですが歳を重ねていくことで生じるカラダの変化に抗う必要なんてないんです。すべての事象を受け容れて、今出来ることを楽しめばいいだけのこと。
今月の日経朝刊の連載コラム「私の履歴書」にて医師で登山家の今井道子さんが冒頭のプロローグでこう書かれていました。
「私はいつも山が自分に微笑んでくれるときに登ることにしている。ただし山の微笑みは個人の力量によって違う..(中略)、都会に閉じこもらず山に行こう。自分の力に合わせ、山が微笑んでくれたと思えるときに。」
私の次回は夏の信州小布施。市民ランナーさんはもちろん、沿道応援の方、ボランティアさん、スタッフさんの全員が微笑んでくれる大会です。
腕時計が刻むラップタイムを睨みっぱなしのランナーさんが少ない穏やかなランニングお祭りイベントが私のスタイルに合っているのでしょう。
おまえはアホか!と言われても私はニコニコ笑って走ります。痛みがあればやめるけど苦しいだけなら笑って走る。その理由は苦しさより楽しさが勝るから。私はこれからもファンランの王道を歩みたいと思います。いつまでも長く走り続けるために。
最後になりましたがスタート直前までご一緒して頂いた皆さま、本当に有難うございました。お声掛けいただいて嬉しかったです。また来年お会いしましょう!
おわり